2009年12月09日

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やっぱり聖人君子にはなれないものですね。

嫌われている、と言うか、
私も嫌いなんでしょうね。
嫌いの両思いですね。

嫌いな人がいる事自体が
幼い、子供だとは思わない。
嫌いな人と極力会わないようにする事も
子供だとは思わない。

ただ、嫌いな人と会ってしまった時に
態度に出てしまうのは子供でしょうね。



あぁ、大人って大変。
posted by acology at 18:55| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月07日

歌詞しか。


アタシはアレンジ出来ない。
譜面も読めない。
作曲も出来ない。
楽器も何も出来ない。

歌詞しか書けないのに
その歌詞が書けなかったら
廃業っす。


書くこと。
書くこと。
書くこと。

アタシに出来るのはそれだけ。


posted by acology at 02:19| 東京 晴れ| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月27日

失礼。


ちさの昔の写真を見て、
ちさのご両親の前で、

「ちさー
かわいくないなー(笑)」
と言ってしまった。

「あんたの二十歳よりマシやろ!」
と突っ込んでくれるちさがいないと
アタシの言葉は大変に失礼な言葉だと
一晩経ってから気がつく。


アタシはいつも、
配慮が足りない。


わざわざ電話して謝るほどの事でもないので
読んでくれたらと思いつつ
こうやって言い訳を綴るのです。


アタシはちさが大好きです。
posted by acology at 15:54| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月22日

11月20日、晴天。

11月20日。

朝からすごく天気が良かった。
前日のお通夜でちさの胸の上に置いてあった花束は
病院が用意してくれたもののままだったので
池袋でちさに小さなブーケを買った。

ちさが永眠する2日前、
桜じゃないけど桜色の花と
ちさの好きなオレンジ色をした花びらの物凄く細いガーベラを買って
病院の花瓶を借りて活けて、
「ちさ、お花見える?
 桜色のお花と、ガーベラ買ってきたよ」と言うと
もうだいぶ目も見え辛くなっていたのに
何故かその時ははっきり見えて、
すごく珍しく大きな声で
「うっわーーーー
 すごくきれい。すごくきれい。ほんまにきれい。
 あんた活けるのうまいやん。ほんまきれいやわ。」
と言った。
そしてガーベラを一本取って
「ちさ、これガーベラなのに花びらがすごく細いんだよ。
 珍しいよね。」
と言って手渡すと
しっかり握って、顔に近付けてみたり手で撫でたりしながら
「ほんまや〜。これメチャかわいい。かわいいな〜。」
と言って
すごく久々に、本当に嬉しそうな
かわいいかわいい満面の笑みを見せてくれた。

手に持っているオレンジ色のガーベラが本当に良く似合う、
本当にかわいい笑顔だった。

だから、最後のブーケは色は違うけど
花びらの細いガーベラで作った。

ちなみに、ちさ永眠の前日は黄色いカラーを買って行った。

同じように活けて、
「ちさ、黄色いカラーだよ。」と言ったら頷きながら
一所懸命見ようとはしていたけど、結局、見られなかった。
そしてすぐちさが、
「あこ明日も来れる?」と言うので
「来られるよ。」と言ったら
「ほな今日はもうええわ。」と言った。
病院に到着して5分くらいだったので笑ったけど
「分かったよ、また明日ね」と言って病室を出た。
ちさはブンブン手を振っていた。
そしてその日の夜、ちさはこん睡状態に陥った。


お別れの会の式場に到着すると
ちさは相変わらず重たーいドライアイスを胸に乗せられてるのに
そんな素振りはちっとも見せず
あちこちが痛くてあんなに
「起きる!起こして!せーの!せーの!」と言っては
まっちゃんに支えられて寝返りを打っていたのに
昨日と同じ姿勢で立派に死体を続けていた。

「ちさ、花びらの細いガーベラだよ。」
っていつもみたいに言いながら
ちさの胸の上のお花と持参した花を取り替えた。

またお化粧を直してあげようと思っていたのに
化粧崩れしていなくてがっかりした。

お別れの会が始まり
またアタシはちさのお父さんに振られて
何やら訳の分からない事を喋り
他の方々は立派に
ちさの著書がどれほど評判良かったか、
どれほど続編を心待ちにしている人がいたか
旅が好きだったちさには
世界中から悲しみの声が届いている事などを説明してくれた。

そして、ちさの棺にお花を入れて下さい、と
白いカーネーションが配られた。
結局ちさに最後あげるお花は
白いカーネーションになってしまうなぁと思いながら心の中で
「いや、アタシのセンスじゃないしこれはしょうがなくね?」
とちさに言い訳した。


お花をちさが一番痛がっていた
お腹の辺りに置いた。


病院で医者がちさの脈を聞いたり
目にライトを当てたりした後
「お亡くなりになっていると思います。」
などと曖昧な事を言って
「思いますってナンダヨ?!」
「死ぬってこんなに曖昧なの?!」と思いながら
ちさにお化粧をしていた時
ちさはまだとっても温かかった。

唇が動いたような気が何度もして
ちさの口元で聞き耳を立ててみたり
ちさの胸に耳を当ててみたりしても何も音はしなかったけど
確かに少しずつ体温も下がって
みるみる唇の色も変わったけど
ちさは本当に温かかった。

お通夜の日、霊安室でちさに会って頬を触った時
ドライアイスで冷やされ続けたのもあり
ビックリするほど冷たくて
「つめたっ!大丈夫?」と思ったけど
まぁちさが大人しくしてるから大丈夫なんだろうな〜などと思いながら
お化粧を直した。

だけどお花をお腹の上に置いてちさの冷たいけど柔らかい頬に触ったら
多分初めて「死んでるのかも知れない」と心底感じた。
と言うか、認めざるを得なかった。

棺の蓋を閉めると言われて
気がついたら
棺にぶら下がって
ダラダラ鼻水を流しながら泣いていた。

誰かに助けて欲しくて
蓋を閉めるのをやめて欲しくて振り返ったら
ちさのお母さんが母親の優しい顔で頷きながらアタシを見ていた。

まっちゃんもお父さんもご親戚も
グッと堪えて一所懸命ちゃんと立っていた。


ご親戚がちゃんとしてるのにアタシ何してんの!
と我に返ったけど
棺から離れようと思っても離れられなかった。

棺の蓋を持っている係の人が
ちさを向こうへ連れて行きたがっているように見えて
何だか鬼だか悪魔だかに見えた。

起きるなら今だよ!と思いながら
何度もちさの名前を必死で呼んだけどちさは起きなくて
とうとう棺の蓋が閉められる時
寂しがり屋のちさが心配で心配で
「ちさ、怖くないよ。大丈夫だよ。」と言ったら
頭の中でちさが
「あんた棺桶経験ないやん。」と突っ込んだ。


火葬場までバスには乗らないで
まにゃと一緒に車で来ていたイズミちゃんに送って貰った。

ちさ達より少し早く着いたので
ちさをお出迎えして
まだもう少しちさと一緒にいられるのかなと思ったら
あれよあれよと言う間に鉄の扉の前に運ばれて
気づかない内にちさの棺が顔の所だけ少し開けられていた。

ちさのお母さんが
「お父さん、いやや。ちさちゃん、おねえちゃん。」
とちさに話しかけていた。

だけどアタシはまた何処かで現実逃避をしていて
まさか焼かないだろうと思っていた。

ちさの棺が閉められて
鉄の扉が開いた時
物凄い勢いの炎の音がゴーーーーーーーーーーと聞こえて
ようやく
これはマズイ、マズイマズイ、さすがにこれはダメでしょ。
起きるなら今しかないよちさ。
とまた思って
何度も名前を呼んだけど
やっぱりちさは起きず
そのまま鉄の扉が閉められた。

鉄の扉の前から離れられず泣いていたアタシに
葬儀場から付きっきりでお世話をしてくれているおばちゃんが
「いつまでもここにはいられないのよ、お部屋に行きましょう。」
と言ったけど
葬儀場の人も火葬場の人も全てが敵に思えていたので
シカトした。


ちさを待っている間は
本当に楽しかった。
ビールを飲みながらゲラゲラ笑っていろんなちさの話をした。

係の人が呼びに来ても
何となく楽しい気分のままで鉄の扉の前に行ったら
既に扉は開いていて
鉄の台車の上にちさの骨らしき白い物がバラバラと乗っかっていた。

まさか、ちさかな。と思った。

「変わり果てた姿」
という言葉は、こういう時に使うんだろうとも思った。


骨を拾うとすぐ係の人が
非常にシステマチックに
「こちらがのど仏でございます。
 この骨のこちらが頭、こちらが腕、
 故人様が合掌をして座禅を組んでいらっしゃるように見える事から
 のど仏という名前になったと言われております。」
などと説明しながらチャッチャとちさの骨らしきものを
2つの骨壷に分け入れた。

ちさのお父さんが、
「その粉も全部入れてやって下さいね。
 残らんようにお願いしますね。」と係の人に声をかけた。

2つの骨壷を濃紺と紫色の間みたいな色の風呂敷で包んで
まっちゃんがそれを大切そうに持っているのを見たら
急にそれがちさだと思えた。
風呂敷を撫でながら泣き出したアタシの背中をポンポンして
まっちゃんが
「大丈夫、これはちさじゃないから。
 これはちさの抜け殻だから。」
と言って
隣でちさのお父さんが
「そうやな。これはちさの抜け殻や。」
と言ったので
なんだ、そうなのかと思ったらまた急に悲しくなくなった。


全てが終わったのだと思ったら
葬儀場からずっとお世話をしてくれていたおばちゃんや
棺の蓋を持っていた人達、
システマチックだった全ての人達が愛おしく思えて
感謝の気持ちでいっぱいになって
葬儀場からつきっきりだったおばちゃんに
「お世話になりました。ありがとうございました。」と言った。

すると突然おばちゃんは涙ぐんで
「本当に、彼女はいいお友達をたくさん持って幸せだったわね。」
と言った。

ちさの事をそう思ってくれて本当に嬉しかった。


その後の親族のお食事会にも誘って頂いていたので
もうここまで来たら最後まで図々しくいるぞー!と開き直り
お邪魔させて頂いて本当に楽しくお食事をした。

ちさが最後の頃はコーラばっかり飲んでいた事、
お父さんがコーラを100mlまでしか飲ませてくれないからと、
お父さんがいない隙に弟に命令して隠れてまでコーラを飲んでいた事、
最後にちさが口にしたのはアタシの作ったリンゴゼリーで
実はそれを食べたから死んだんじゃないかと
まっちゃんが密かに疑っている事、
ちさが最後に発注した仕事の事、
ハトコのアヤちゃんを妹のように可愛がっていた事、
なかなか素直になれなかった人に、
ちさがちゃんと最後「大好き」と言えていた事、
ちさに「ありがとう」と言われた友達に
何も言われなかったまっちゃんがヤキモチを妬いている事、
だけど、病気が見つかってから結婚を避けて来たちさが
「まっちゃん嫁に貰って!」と朦朧としながらも言った事。

本当に楽しくお酒を飲んで、皆でちさの話をした。



それからお別れの時間になって
毎日のようにお顔を見ていたちさのご両親とも
もうしばらくお会いする事はないんだな。と思った。

「本当に、ご親せきの皆様の前で出しゃばって
 棺に張り付いてすみませんでした。」
と謝ったけど
誰一人責めなかった。
すごく温かい優しい顔で、アタシを見てくれていた。


その後、ちさのハトコのアヤちゃんと
ちさが最後に仕事を発注したカメラマンのジャニ君と
初対面だらけの3人で
飲んで飲んで結局うちに辿り着いて
今日までダラダラと過ごす事になるんだけど・・・

疲れたので、それはまた今度。


とりあえず小股千佐、平林豊子の最後のイベントの事を。
忘れないうちに書いときます。
posted by acology at 00:16| 東京 晴れ| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

11月19日、雨。

11月19日。
ちさは、霊安室にいた。

お布団や携帯すら重たいと言って嫌がっていたのに
胸の上におもたーーーーーいドライアイスを乗っけられても
ビクともせず、文句も言わず、良い子にしていた。

会場を見に行ったら
ちさの服が置いてあって、ようやく泣いた。
ちさの服
ちさの帽子
ちさのカバン。

全部が主を失って
ペチャンコになってた。


納棺式をする時
着替えが間に合わなくて
ご家族やご親族がたくさんいる中
「あこの着替え待ち」
の時間を作ってしまった。

「あんたアタシの葬式やのにどんだけ目立つつもりやねん」
と、ちさの声が頭の中に響いた。

納棺は何だか不思議ではあったけど
悲しくはなかった。
大人しく箱に入れられている姿があまりにちさらしくないので
むしろ少しおかしかった。


前から3列目にの席に座ってお通夜が始まった。
ちさのお父さんから、
「皆さんに一言ずつ喋って貰うので、トップバッターでフリますから。
 よろしく。」
と直前に言われていたので
「ちさのお通夜が始まってしまった」という悲しみより
そっちに気を取られていた。

また、頭の中でブーブーちさが文句を言っていたけど
緊張していたので無視した。

予告通りマイクを渡され何となく何か喋ってホッとして
後ろを振り返ると人がたくさんいてビックリした。
いろんな人がちさとの思い出話をしている間にも
どんどんどんどん人は増え
・・・こりゃ終わらないぞ・・・と思っていたら
ちさのお父さんが司会者に何やら耳打ち。
そして、お話は挙手制になり
立ち見がまだまだ増える中、お通夜は終了した。

結局参列者は
前日のお知らせにも関わらず
180人にもなっていた。
青森や九州からも来た人までいた。

式の前ご両親から
「終了後のお食事は15人前しか頼んでないけど大丈夫かな?」
と聞かれて
「う〜ん・・・足りなくても皆ご飯を食べに来るワケじゃないし
 大丈夫じゃないですかねぇ?」
などと話していたくらいだったので
ご両親はビックリ仰天と共に我が子をますます誇りに思っただろうし
アタシ達友人の頭の中には、
「アタシ人気者やねん」
と言って調子に乗っているちさの声が聞こえていた。


アタシの飲み仲間でもあり、ちさの彼氏のまっちゃんが
喪主をあまりにしっかり務めるので
物凄く感心した。
通夜は、特に大きな悲しみもなく、
「また明日ねー ちさ」って心の中で言って
ちさが入院中の時と同じように別れた。

ちさが、寝てる間にこっそり帰ったりしていたので
ちさの返事がないのは別に不思議ではなかった。


まっちゃんが、
「ちさ、湯豆腐食いたがってた」と言っていたので
仕事後に駆けつけてくれたアタシの旦那と
池袋で湯豆腐を食べながら熱燗を飲んだ。




posted by acology at 00:15| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月18日

平林豊子永眠のお知らせ

we love asian fashion
we love ethnic fashion
の著者であり、私の友人でもある
平林豊子(本名 小股千佐)は
本日14時05分、
父、母、恋人、友人の見守る中永眠致しました。



私個人の気持ちとしては、
それはそれはとても寂しい、悲しいのは当たり前ですが、
お肌ツルツルだった千佐の眉間にここ2カ月でシワが刻まれるほど
痛い、辛い、苦しい思いをしていたのを見ていたので
千佐が楽になって良かった、と思っています。



最後にお化粧をさせて貰ったのですが
「こんなに息しないで苦しくないのかな?」と思ってしまうほど
眠っているような、安らかな顔でした。







生前交流のあった皆様、読者の皆様に、
本人に代わって心から御礼申し上げます。

posted by acology at 18:42| 東京 晴れ| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月12日

ふむ

やはり、
名古屋の赤味噌だけじゃないのね。


名古屋味噌と、干し椎茸。
これ必須。
大根とか人参とか
ゴタゴタに煮たら
ばーちゃんの匂いがするのだね。
posted by acology at 11:00| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月28日

弱さ

自分の弱さを
笑い話にして
誰かに聞いて貰う事で
また逃げる。

たまにはそうでもしないと
弱すぎて笑って生きていられない。
posted by acology at 14:37| 東京 晴れ| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月16日

何でもやっとくもんだ。


小学校の頃、
料理好きの母の影響からか
よくお菓子を作った。


たまに失敗してオーブンから煙がモクモク出て
お隣のナナチャンから
「ねぇ!家が燃えてる!」
と心配の電話を貰ったりした。

中学に入る頃にはコンビニの前で夜な夜な
しゃがんだり立ったり
飲んだり飲まれたり
吸ったり吐いたりしていたので
お菓子を作る
なんて事はしなくなってしまったが
本日久しぶりに本格的にケーキを焼いた。

レシピを見ると、
五分立てのメレンゲに…
とか
泡が潰れないようサックリ混ぜ合わせる。
とか
塩ひとつまみ
とか
うちの姉が見たら

「五分って五分間混ぜればいいの?」
「サックリってどんくらい?」
「ひとつまみって何指と何指?」
などとあたふたしそうな事がたくさん書いてあった。

とりあえずレシピがあれば作れるのも、
昔とったなんとやらだなぁと思いながら
何でもやっとくもんだと思った。


ちなみに家にハンドミキサーが無かったので
メレンゲを手動で十分まで立てた。

思考は「乳酸」という単語に奪われ
途中何度もミキサーズハイになり
エヘッ
エヘッ
と一人で笑ってしまったが
何とかやり切った。


これも、きっと小学校の時にテニスで蓄えた
根性と腕筋のなせた業だと思った。

何でもやっとくもんだ。



それにしても…
アタシ小学校以来何もやってないんだな。
と、今これを書きながら気づいてしまった。

子供の頃とった杵柄は結局、
親に買って貰った杵柄ですから。


感謝せねばね。
posted by acology at 17:13| 東京 晴れ| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月13日

おもて。


油断してた。


平穏に暮らすには
見せていくないアタシがいるのを忘れてた。

シャキッとしなね。
posted by acology at 03:49| 東京 曇り| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする